東学党は、もともと反乱を起こすために創られたのでしょうか? 下層民に支持されるような教え、斥倭斥洋の思想は、日本に対して非常に好戦的であると感じました。また、19世紀には、日本でも天理教、大本教、黒住教などさまざまな新宗教が誕生していますが、何か共通の理由があるのでしょうか。

最初の党首であった崔済愚には、反乱の意志はなかったかもしれません。しかし、彼が無惨な殺され方をしたために、政府に対して不満を持っていた民衆のエネルギーが爆発した、といえるでしょう。当初の反乱は政府に対してのものでしたので、日本軍に立ち向かうために組織されたのではありません。ただし、西洋や日本が朝鮮を圧迫してくることに反対していたので、それらの勢力を排斥する下からのナショナリズムであったことは確かです。同時期、日本でも多くの新宗教が生まれているのは、一般的には「近代化の歪み」の結果として説明されますが、多くは幕末期、一種の神秘体験に基づく神道の再構成のなかで起こってくるものです。背景には、やはり、帝国主義的な国際情勢に基づく政治・社会不安と、経済格差の拡大などがあり、社会のボトムラインへ抑圧が高まっていたことなどが挙げられるでしょう。そうした情況のなか、日常生活に喘ぐ民衆の需要に応えるように生まれてきたのが、これら新宗教であったと思われます。天理教大本教など、女性教主が少なからずみられるのも、そのことと関係しているのでしょう。