邪教とされた東学党が、現在、民主運動の始まりとして理解されているのはなぜですか。

当時東学党邪教とされたのは、反政府運動すなわち逆賊であったことや、日本政府の喧伝によるところが大きかったものと思われます。現在は、客観的な歴史理解のなかで、民衆救済を意図したその思想や運動が評価されているということでしょう。その民族運動としてのあり方が、国民国家ナショナリズムと合致する、という側面もあります。