ブラック企業におけるブラックの使い方が差別的であるというのは、確かだと思います。必要以上に喧伝されているのも確かでしょう。しかし、だからこそ反抗する術を持たなかった人々にスポットが当たり、是正の途上にあるのも確かだと思います。先生ならば、企業のいいなりになっているような弱者をどのように扱いますか?

質問の意図はよく分かるのですが、まず、「だからこそ」というあたりが引っかかります。劣悪な環境で若者を働かせる会社の実態が世間の知るところとなり、是正の動きが始まったのは、「ブラック企業」というネーミングのおかげなのでしょうか。確かに、社会に対しキャッチーに作用したということは、結果論としてはいえるでしょうが、「だからこそ」ならば、日本の社会はあまりにもお粗末です。著者も出版社も、社会的正義に立って企業の問題を提起しようとしたのなら、その同じ視線で、「ブラック企業」という言葉についてもよくよく吟味すべきだったと思います。なお、上記のような労働環境の劣悪さが容認されているのは、現在の憲法改悪草案などをみても明らかなとおり、列島社会に個人の基本的人権よりも集団の利益を重視する傾向が極めて強いこと、戦後の人権教育や平和教育もついにそれを改善できなかったこと、戦後の市民運動が尽く弾圧され解体され、あたかも自己の権益を守るために運動をする人々が悪いことをしているかのように思われる、そうしたメンタリティーが形成されてきてしまったことです。これを何とかしない限り、いくら法整備を進めても、その法を悪用し、あるいは隙間を縫うことで、労働者を搾取する情況は継続してゆくと思います。法整備とともに、教育、そして社会の偏見や誤解を解体してゆくことが極めて重要です。