私の地元では、障がい者施設や関係の学園があり、小学校では同和教育、「人権を考える会」などの教育も繰り返し行われました。しかし、東京の大学に入って、周囲の友人に「同和」という言葉さえ知らないといわれ、とても驚いた記憶があります。関東では同和教育は行われていないのか不思議なのですが、何か理由があるのでしょうか。

確かに、東日本においては、西日本におけるような形での同和教育は行われていません。これは、一般的に後者のほうが、部落差別が苛酷であったことに由来すると考えられています。歴史的に被差別部落があり、地域の教育者の意識や関心の高いところでは、同じような教育がしっかりと行われている場合もありますが、やはり一般的ではないかもしれません。そのために、東日本においても差別が現実にあったことが忘却され、差別に対する一般的感覚が極めて鈍くなっているようにみえます。1月に、都内の高校生を引率して浅草・吉原でフィールドワークを行ったのですが、現在浅草において最も人気を集めているスピリチュアル・スポット今戸神社は、被差別部落の人々が解放される近代に至るまで、弾左衛門の指揮する「穢多村」(これは差別表記です)の一角にあり、それまで部落の人々が信仰していた白山神社と、至近の今戸八幡とを合祀して生まれたものなのです。しかし、現在の今戸神社の説明板などには、そのことについては一切触れられていません。東日本における歴史的な差別の痕跡は、次第に隠される傾向にあるように感じます。