「帰化人」から「渡来人」への言葉の変遷について。歴史学を学んでいる人間としていうべきことではないかもしれないが、同じことを指す語がころころ変わるのは、歴史に対して難しいイメージを与え、大衆が歴史嫌いになるような印象を持ちます。また、教える側の負担も大きそうなので、そこのところの兼ね合いをどうするかも重要な課題であると思います。

うーん、やはり学問的に誤りが判明したとか、倫理的に問題がある場合、即座に対応し是正するのが、研究の理想的なありようであり、教育の理想的なあり方であろうと思います。その言葉の使用によって、誰かが理不尽な抑圧を被るのであれば、なおさら。民主主義の根幹は、多数派によって決められる方向からこぼれ落ちてしまう少数派の意向を、どう汲み取ってゆけるかにかかっているので、そうした意味でも「多数」ではなく「少数」をこそ考慮する必要があるでしょう。テクニカル・タームがさまざまに変転をするのは、学問が真理を求めて発展しようとする限り当たり前のことで、「そうすることで一般の人々が付いてこなくなるのでは」という心配は、逆に一般の人々の知的好奇心を否定してしまう危険もあります(むしろ、新しい発見があり、センセーショナルな解釈が生まれるたびに、本も雑誌も売れ行きが伸びるのです)。また、学問が新たに展開すれば、それについて学び、生徒へ分かりやすく伝えるのは、教員の義務であり責任です。この場合、負担云々というのは本末転倒でしょう。