「物語り」によって無理矢理理由をこじつけるのは、プラスの機能とはいえないと思います。

上でも述べましたが、物語りは人間の通常の言語行為なので、すべてが「無理矢理のこじつけ」ではありません。むしろ人間は、物語りによってしか事象を把握できないのです。また現実と向き合うことが激しい痛みや苦しみを伴う人にとっては、「無理矢理のこじつけ」が救済になる場合があります。そうしたとき、あなたはその人を、「こじつけるな、逃げるな」と批判できますか。震災経験をめぐる心理学研究では、そうした現実の強要が、必ずしも〈患者〉の治癒に繋がらないことが指摘されてきました。人間には、苦しく辛いものと向き合う際に、一定の時間を必要とすることもあるのです。