祖先信仰があった地域では、故地を離れるのは難しいとあったが、民族移動は、旧世代と比べ新しい発想だったのだろうか。 / 民衆まで祖先信仰が浸透していたかどうか…という話があったが、史料がないので一概にはいえないと思った。 / 祖先信仰が強いから移動は難しいという発想は、中国=儒教という先入観によるものではないだろうか?

例えば列島の縄文早期末〜後期には、集落の離散/再統合が繰り返されます。その際に、再統合の際の作業として人骨の再埋葬墓が出現するのですが、これは集落が結集する際、それぞれが所持していた祖先の骨を一緒に埋葬し、統合の象徴としたものと考えられています。すなわち列島の縄文期には、それ以前の段階で人骨に託した祖先の観念が成立しており、それが村の人々を結びつける機能を果たしていたということです。そうしてさらに重要なのは、このように祖先信仰を持った人々が、明らかに移動をしていることです。つまりこの時点では、後に「父祖の土地」などと当たり前にいわれるような祖先と土地との結びつきが未だない、いい方を変えれば、祖先信仰においては土地との結びつきが必須の条件ではないということです。上の質問にもあるように、祖先信仰の代名詞ともいうべき儒教は、中国において民衆まで普遍的に浸透していたわけではなく、自然神や人間神を祀った祠廟などの、雑多なアニミズムが広汎に展開していたのが実際のところです。そうした点からも、「定住社会バイアス」を客観化して考える必要があるでしょうね。