南北朝時代になると血縁的繋がりが強くなり、また各々の集団が生業を営んでいたと授業で習ったが、その生業は世襲のものではなかったのだろうか?

通史的な理解は、常に例外を生み出し、それを排除することで成り立っています。南北朝時代も、どの時代、どの地域、どの階層に注目するかでずいぶん異なる様相がみえてきます。いわゆる士大夫階級に注目すれば、胡族王朝に抑圧されて江南へ移動してきた北人が派閥を形成し、確かに強固な家系を打ち立てて閉鎖的な社会を構築してゆく。一方の南人はそうした北人に対する不満から、やはり対抗して強固な家系を打ち立てようとする。しかしそうした社会情況は隠逸を生み、僧侶や道者の輩出が盛んになり、また神憑りを契機にした新興宗教も多く現れます(これらのなかから、後に教団道教の主流を為す上清派茅山道教も誕生します)。江南では北朝の侵入と内乱から社会が流動化し、南方の非漢民族流入も盛んになってゆきます。多様化のなかで逆に系譜意識も強くなりますが、そこには政治的必要性から仮構されたもののあることも認めなければなりません。