島国である日本では、戦乱があっても逃げ場がなく、大陸へ向かって逃げたという話も聞いたことがない。それはなぜなのだろう?

沿岸の人びとの場合には、海を交通路として他地域へ逃亡することは、広く行われていたはずです。近代に至るまで、列島沿岸の漁民の世界は、内陸とは異なる広汎なネットワークを持っていました。朝鮮半島との間にも庶民レベルで交流があり、九州や中国地方の人々が半島に居住したり、拠点を築いていた事例は、中世に至るまでみうけられます。古代の内乱においても、藤原広嗣大宰府から新羅へ逃亡しようとしていますし、勢力基盤である近江・越前へ向かった藤原仲麻呂にも、半島へ渡る意図があったかも分かりません。あとは2回目にお話ししたジェームズ・スコットのゾミア地域の人々のように、山へ逃げる場合も多かったということですね。