pratiqueとpraxisの概念について、こんがらかってしまいました。praxisによって社会が変わるという考え方が、マルクス的ということでいいのでしょうか。

マルクス主義的な〈実践〉観では、社会・経済構造の変革は、それらが現在の体制を維持すべく作用させるイデオロギーを自覚し、その強制力を斥けたうえでなされる意図的な行為、革命によって達成されます。そうした「意図的な実践」が、ドイツ語によるpraxisとして表現されます。一方のpratiqueはフランスの社会学、人類学などで重視された考え方で、マルクスのいうpraxisさえ、けっきょくは構造の規制力から充分に自由になることはできない。イデオロギーを自覚できたとしても、それを可能にしたのは、当の主体が社会的・経済的・文化的に規定されているポジションによってである。しかし、時代を追ってみれば明らかに社会・経済構造は変化しているのであり、現状を維持し再生産を続行する実践とは異なるベクトルのものが、どこかで作用しているとしか考えられない。これをpratique=慣習行動と呼び、意識的と無意識的とにかかわらず、長い時間をかけて構造を組み換える力を持つ実践と定義づけられたのです。