神話が、「歴史より古いもので、非論理的」とは必ずしもいえないということが、まだよく理解できません。 / 現在にも神話はあるということは、語られることのなくなった神話も存在しているという認識なのですか。 / 現代の神話とは、どのようなものを指すのでしょうか?

近年の神話学の成果のひとつは、古代のみならず、中世・近世・近代の各時代において、それぞれ同時代の政治・社会の要請に応える神話が存在したことを明らかにした点です。日本でいえば、『古事記』『日本書紀』に代表される古代神話があり、それらを仏典や漢籍を採り入れて再構築した中世神話があり、平田国学の冥顕論に象徴される近世神話があり、国体化してゆく近代神話がある。古代世界や民族世界のシャーマンとはやや異なりますが、本居宣長平田篤胤にもそうした要素がありますし、近代の折口信夫や、また「八紘一宇」という言葉を創出した田中智学などは、シャーマンとして「神語り」を行った存在でしょうね。そうした一種の譬喩でなくとも、天理教中山みき大本教の出口なをなどは、本質的な意味でシャーマン的存在です。こうした憑依現象や神語りは、現在も世界の各地で頻繁に実践されていますし、10年ちょっと前には、ネオ・シャーマニズムとして、都市社会に生きる新たなシャーマンの存在が注目を集めました。また神話の単元でも話をしますが、谷川健一『神に追われて』(新潮社)などには、現代成巫譚の典型的な事例が分かりやすい物語りとして収められているので、シャーマンの存在をリアリティをもって受けとめることができると思います。