デュルケームによる、空間の分節の原初形態はヒトを単位にする、ということは、例えば宗教によるとしてもヒトによると認められるのでしょうか。 / ヒトを単位とする分類は、現在当たり前になっていますが、古代のいつ頃からこの方法が始まったのでしょうか。

宗教はヒトが生み出したものですし、神の業績にしても何にしても、歴史学的・人類学的にみれば人間の活動の投映です(もちろん、神学的には異なる理解がありえます)。よって、ヒトを単位に分類したと整理できるでしょう。こうした方法の起源について描いたのが、まさにデュルケームの『分類の未開形態』です。人間が生活をしてゆくためには、世界を何らかの形で意味づけ=分節し、自らの生に適合した環境へと作り変えてゆかねばなりません。社会学の父であるデュルケームは社会を強調しますが、恐らく実際は、生態系に対する観察を通じて得た動植物のさまざまなありようと、主体であるヒトとその社会との、キャッチボールを通じて分節がなされてゆくのだと思われます。トーテミズムにみられるように、生態系の諸関係をモデルに自分たちの集団・社会を分類し、またその分類を用いて、空間や時間などの抽象的な概念を創出してゆく。このあたりの思考運動はまさに文化の基盤なので、ヒトがヒトになる段階において発生したと考えてよいでしょう。