プラクティカル・パストに対してヒストリカル・パストは現在に作用せず、過去は過去といった印象を受けたが、ナショナル・アイデンティティなどを形成するうえで、実践的ではないにせよ現在に作用しているのではないか?

ナショナル・アイデンティティーを構築するための歴史は、直接的にはナショナル・ヒストリーと呼ばれます。これは、秋学期の全学共通日本史などで詳しく扱っていますが、ヒストリカル・パストをもとにしながら、それとは異なる様相を持っています。まず、ヒストリカル・パストは開かれた論争のもとに史実を追求しますが、ナショナル・ヒストリーは国家の統一性を阻害するような内容は希薄化するか、除去するような傾向を持っており、必ずしも史実に忠実ではありません。国家の定めた法律のもとに、また現政府の意図や価値観のもとに構築されるため、開かれた議論によって保障されてもいません。現代日本の教科書は採択基準は、改悪によって後者の性格が濃厚になっており、歴史学界が専門的に追究してきた結果とはかけ離れた内容も記載されています。しかし確かに、実証主義史学を標榜した重野安繹も久米邦武も、科学的歴史学によって近代国家の発展に寄与せんとする意志を強く持っていました。そうした意味では、やはり、ヒストリカル・パストはその始まりにおいて、ナショナルなものに順応的であったといえるでしょう。