聖書の登場人物の名前が頻繁に被るのは、やはり父祖語りの反復という意味もあるのでしょうか。

同一名称の人物の存在については、概ね3つの可能性が考えられます。1つ目は、単なる錯簡。同一人物を別々に扱ってしまった結果、あたかも2人の人物がいるかのような記述・伝承になってしまったもの。2つ目は、意図的な架上。実際は存在しないものを、何らかの意図があって述作してしまった場合。3つ目は事実で、実際に複数の同一名称者が存在したという可能性。2・3の場合は理由が重なる場合もありますが、例えば、その名前が幸運なもの、「縁起のいいもの」と考えられた場合。もしくは、〈物語り論的歴史理解〉のごとく、父祖の名を名乗ることがその人の生を受け継ぐことになるという表明。こうした事例は、アジア地域にも、日本列島にも多く見出されます。名前すべてではなく、1字のみを継承する場合もみられます。父祖語りの反復という視点も、このことと併せて考えたほうが説得的かもしれません。