多遺体再葬墓の話に関心を持ちました。「死」が血の繋がりを強める道具となっていることが、現代社会とは大きく異なっていると感じました。現代では孤独死なども増え、血の繋がりの重要性が薄れていますが、お墓参りの意味なども、昔とは違ってしまっているのでしょうか? / 現在は、人々の生活圏と墓地とが切り離されてしまっていると感じます。ひとつのケガレ観の結果でしょうが、先祖の扱いはなぜこうも変わってしまったのでしょうか。

死・死者へのイメージ、墓地の位置などは、長い列島の歴史のなかでもずいぶんと変遷があります。縄文時代でも、かつては集落の縁辺部にあり、環状集落が作られるようになって、その中心部に位置づけられるようになるのです。しかし、それもやがて、環状の中心部から墓地を失った祭祀空間となってゆく。再び死者に集団を統率する力が与えられるのは古墳時代ですが、古代(平安時代)にケガレ観が高まると、やはりまた墓地は周縁部に排除されてゆきます。近世には東西日本での地域差がみられ、屋敷墓などを持ち強いケガレ観のない東日本に対し、西日本では参り墓/埋め墓を分け、後者は周縁部に阻害する両墓制が発展します。死者祭祀に関わる仏壇(これは実は儒教的なもの)も参り墓のようなものであり、両墓制の変形だと考えると、おしなべて死者は忌避すべき存在と考えられてきたといえます。現在では家制度が強固ではなくなり、一族の系譜的概念も薄れつつあります。かつては代々の先祖との繋がりを意識する場であった墓参、広義の死者供養の場も、だんだん身近な死者個人と向き合う場になってきているようです。