王の側は、民との関係を表明することはなかったのでしょうか。

「仕奉」との関係で、ということでしたら、儒教的な徳目を基盤にした王は常に民に言及します。民を安泰な状態に保つのが王の役割、責任、というのが建前ですので、詔勅にはことあるごとに民の安寧が言及されます。例えば、天然痘が大流行している際の詔は、『続日本紀天平9年(737)8月甲寅条によると以下のとおりです。
【書き下し】詔して曰はく、「朕、宇内に君として臨み、稍く多き年を歴たり。而れども風化尚擁り、黎庶安からず。通旦、寐ぬることを忘れ、憂労茲に在り。又、春より已來災気遽かに発り、天下の百姓死亡ぬること実に多く、百官人等も闕け卒ぬること少からず。良に朕が不徳に由りて、此の災殃を致せり。天を仰ぎて慚ぢ惶り、敢へて寧く処らず。故、百姓を優復し、存済することを得しむべし。天下の今年の租賦と百姓宿負の公私稲とを免ず。公稲は八年より以前を限れ。私稲は七年より以前。其の諸国に在りて能く風雨を起し、国家の為に験有る神の、幣帛に預らぬは、悉く供幣の例に入れよ。大宮主・御巫・坐摩御巫・生嶋御巫と、諸神の祝部等とに爵を賜ふ」とのたまふ。
【現代語訳】(天皇は)詔して、「私は、この国に君主として臨み、いさかか多くの年月を経た。しかしその徳化はなお滞り、人民は安心して暮らせていない。朝まで一睡もできず、憂い疲れているありさまである。また、春から災厄の気が突然に起こって、天下の人民が死亡することは大変に多く、百官人らが死亡し欠員の生じることも少なくない。本当に私の不徳によって、このような災害が生じてしまったのだ。天を仰いでは恥じ恐れかしこみ、一向に安心していることができない。よって、人民を優遇して課役を免除し、もとのままに生活することができるよう救済せよ。天下の今年の田租・賦役と、公私の出挙稲の返済が滞ったものを免除する。公出挙稲については、天平八年より以前を対象とする。私出挙稲については、天平七年より以前とする。また諸国にあってよく風雨を起こし、国家のために効験のある神社のうち、幣帛に与っていないものは、すべて供幣の例に入れよ。神職の大宮主、御巫、坐摩御巫、生嶋御巫と、諸神の祝部らには爵を賜与する」と仰った。