近代以前の人々にとっての父祖の物語りは、自分のアイデンティティのようなものだったということでよろしいでしょうか。もしそうなら、中世の宗教戦争は、人々にとって、自らの依存する父祖物語りや族長物語りを絶対視したために起こったと考えることも可能ですか?

宗教や国家といった地縁・血縁を超越する集団が、個人を利用して自らの目的に駆り立てる際には、彼らが重い価値を置く人間関係に訴えてゆく方法を採ります。例えば靖国神社は、近代日本が神道を非宗教化する(それゆえに、信教の自由を超越して全国民が崇めるべきものと規定した)なか、その宗教性を一心に体現する装置として設置されました。同社は、幕末明治の内戦以来、国家のために戦死した兵士たちを祀っており、ゆえに一般市民の戦争被害者や、国家に反逆した死者は奉祀していません。西南戦争で政府に逆らった西郷隆盛などは祀られていませんし、逆に戦死した朝鮮や台湾など旧植民地出身の兵士は、本人や遺族の意向に関係なく奉祀されているわけです。政教分離の考え方からすれば、特定宗教が国家の機能を分担していることは適切ではなく、忠国を基準に奉祀対象を選別する価値観からは、とても平和を願った宗教施設であるとは考えられません。よって、現在的価値観に照らして是正せねばならない要素が多くあるわけですが、彼らはそうした批判に対して、「大切な人々を守るために戦った、父祖の気持ちを踏みにじるのか」との応答を返して来ます。身近な人々への愛情へ訴えることで自身を正当化しようとするわけですが、実際は国策こそが父祖を死へと追いやったわけであって、史実を歪曲するまやかしに過ぎません。それらに惑わされずに適切な判断をするためには、やはり相応の歴史的な知識を身に付けておく必要がありますね。