神を苦しみの身と捉える「神身離脱」には驚きました。この神様イメージでは、神様がどのような存在であるのか気になりました。

中国では、仏教が伝来して普及に努めようとするとき、在来の神々をどのように扱うかが問題となりました。それまでは、ジャータカ(在来の神話・伝承を釈迦の前生譚として組み込む仕組み)やパンテオン(仏教的世界観のなかに在来の神々を組み込む仕組み)がさまざまに機能し、そのことによって仏教の世界普及が進んでいったわけですが、中国ではそれに加えて、神を六道輪廻のなかに配置する論理が整備されたのです。よく知られているように、仏教ではもともとインドにあった輪廻思想を整備して、生命はその行いによって、天道・人間道・餓鬼道・畜生道阿修羅道・地獄の6つの世界を行き来する(正確にはその行いである業)と考え、この生まれ変わり死に変わりは永遠に続く苦しみであって、そこから脱却するためには覚智を得て解脱しなければならないと説きました。中国仏教が競合対象として相対した祠廟の神々は、人間に対して酒肉を要求しその祈願に応えるもので、存在するだけで不飲酒戒や不殺生戒を犯してしまい、人間の三毒(貪・瞋・癡)を助長する危険がある。そこで、神は前生人間であった時代に(善業とともに)悪業を重ね、強い能力を得ると同時に悪身を得てしまった、それゆえに存在するだけで悪業を生み、後生には地獄へ堕ちるような存在になってしまう、彼らを救済するためには神であること自体を止めさせ(現在の命を終えさせて神身を離脱させ)ねばならないとの論理を生み出したのです。なお、唐代初期に編纂されたそれまでの仏教的知識の集成、『法苑珠林』という書物では、六道のそれぞれについて解説したうちの「餓鬼」の項目に、祠廟の神々を分類しています。こうした考え方が可能であったのは、主に漢代以降の中国においては、神の世界の人間化が進み、天上世界にも冥界にも地上と同じ王権秩序・官僚世界が想定され、「人間が修行して神になる」という神仙思想の展開のもとに、「あらゆる神々はかつてはみな人間であった」と想像されるようになっていたことも大きいですね。同時期、神々を自然の象徴と捉えていた日本との、大きな相違です。