この時期に国という単位があったのでしょうか?その国の人々は、自分は○○人だという自覚があったのでしょうか?

近代国民国家のような統一された状態ではもちろんありませんが、多様な事情から移動のなかにあった人々ほど、居住地域のコミュニティに比して高次なレベルの共同体意識を、何らかの形で持っていたようです。それは、交通や流通について、王権や国家などの高次の権力がかなり早くから介入し、その利益を収奪あるいは独占しようとしたことと関わりがあるでしょう。例えば、現在世界遺産指定で話題になっている海の正倉院、福岡県沖ノ島には、4世紀後半以降海上交通を守護する神格への奉献品が見受けられますが、そこには20面以上の銅鏡をはじめとする畿内の古墳埋葬品や祭祀遺跡の奉献品と類似のもの、新羅産の金銅製馬具やペルシア産カットグラスなど地域のコミュニテイを越えた広範囲の遺物が見出されることから、王権による祭祀が展開されたことが確認されています。支配階層ではない人々の帰属意識は千差万別で、王権や国家に愛着を抱いていない人々も多かったはずですが、自分の生活するコミュニティの領域支配者が誰であったか、他者からみて自分はいかなる国の人間と位置づけられるのかは、境界領域で移動を繰り返している人々ほどよく自覚していたはずです。