共通との相違ゆえの忌避というのは、マジョリティであらねばならないという現在の風潮に通じるものがある。日本は単一民族国家であるという幻想のなかで生きているせいだと思っていたが、古代でもそうなのだろうか。

確かに、近代国民国家下の社会よりは古代社会のほうが、差異については寛容であり、多様性を保持していたと考えられます。前近代の差別などを扱う通常の研究も、そういう「括り」を付けたがるんですね。しかし今回の講義では、そうした常套的なまとめのあり方自体を問題視したいのです。「渡来」の結びでも述べますが、差別・排除を正当化するための物語り(多くは「歴史」)が、古代においては未発達であっただけかもしれない。社会・文化のセーフティ・ネットが未熟であった古代は、弱小の集団であるより、大集団に帰属していたほうが生存可能性は高くなったはずです。アイデンティティー自体は多様であったはずですが、マジョリティを求める志向はやはり強かったと想定されます。