日本人は邪なものを川へ流すとの話がありましたが、中国でも死体を川に流すことはありましたし、インドでもガンジス川へ遺体を流す遺灰を流す風習があります。これらはすべて共通の心理に基づくものなのでしょうか。

時代や地域によってずいぶんと考え方が違いますので、一概にすべてを共通とみなすことはできません。ガンジス川は生命の根源たる神聖な河川であり、それゆえに人々は水の物理的な清濁にかかわらず沐浴を行い、魂の浄化と再生を願って遺体を「送る」わけです。列島社会の河川観と比べると信仰の強弱が大きく異なりますが、しかし一方で大乗仏教の経典には「洹河沙数諸仏」との譬喩がたくさん出てきます。「洹河沙」とはガンジス川の砂の意味で、10の52乗という甚大な数の単位でもあり、とにかく途方もないほどの大量な数を指すわけです。それがガンジス川の主要イメージとすれば、やはりガンジス川へものを流す行為の根底には、「拡散」を期待する欲望が孕まれていると考えざるをえません。