弓月君が秦氏の祖であることについて検証が必要、との話であったが、王仁と西文氏、阿知使主と東漢氏の関係も同様にそうなのだろうか。

王仁にしても阿知使主についても、伝説的な人物であることに違いはありませんが、それぞれ『日本書紀』に「書首等祖」「倭漢直祖」と明記されていますので、8世紀初めの段階で、氏族/王権の間に一定の共通認識のあったことは確認できます。しかし始祖伝承の世界は本当に複雑で多様なので、国家がひとまとめに把握していること自体に疑問を抱く必要もあります。西文氏系の渡来系氏族のなかには、船・葛井・津など、王辰爾という人物を始祖と仰ぐ系統もみられ、これは王仁をモチーフに創作された系譜であるとみられています。両者の間に氏族伝承の交渉・融合がどのようにみられるのかも、非常に重要なテーマです。