神道では、幽冥界をオホクニヌシが、顕界をアマテラスが治める分治であるとされていたのですか? / 冥顕論のもとでは、伊勢神宮より出雲大社の方が社格が上だったのですか?

冥顕論においては、まさにそうです。神社に関わる古代的制度においては、皇祖神を祀る伊勢神宮が別格の扱いを受けていたわけですが、中世や近世の時間的経過のなかで、それらも大きな意味を持たなくなりました。各時代においてどれだけ社会の需要に応えているかが、神社の位置づけを決定づけていたといっても過言ではありません。幕末の時点で、伊勢も出雲も御師の活動を通じ多くの参詣者を得ていましたが、神官・国学者の思想のマジョリティは明らかに平田国学でした。明治維新も彼らの協力で達成できたわけですが、明治政府は間もなく彼らを追い落としにかかってゆきます。当初、神道最高神には萩派・伊勢派の推すアマテラス、薩摩派の推す造化三神、平田派のオホクニヌシがありましたが、明らかにオホクニヌシが優勢でした。さらに、出雲大社宮司であり、西日本に「生き神」として圧倒的人気のあった千家尊福が大社教を組織し、オホクニヌシ信仰を全国へ広めてゆくと、萩派・伊勢派や薩摩派は政府と癒着していたにもかかわらず劣勢に立たされました。しかし、伊勢派が明治天皇周辺に働きかけることで神道最高神はアマテラスに決し、それまで神道国学の定説であった冥顕論も否定され、神職の教導職就任・葬儀関与が禁止されて、大社教は神道の枠組みから排除されるに至ったのです。