文字というのはどのように固定してゆくのでしょう。また、口承から書承へ転換した後も、識字率などとの関係から書承の語りは継続すると思われるのですが、実際のところはどの程度の語りが書物になったのでしょうか。 / 書承から口承に戻ることもあるのでしょうか。

授業でもお話ししたように、書承には書承の利点があり、口承には口承の利点があります。現在もあらゆる言葉が文字化されてはいないように、前近代においては、やはり口承の世界が(文字を知らないからという理由だけではなく)躍動していました。日本では柳田国男によって大成されたフォークロア民俗学は、歴史学が文字の記録を扱って過去を再構築する学問であるのに対し、それらがやはりハイアラーキーの政治や思想を扱った「歴史」にならざるをえない点を批判しつつ、口頭伝承を素材に一般の人々の日常的生活、それを支える心性(心意)を探究すべく開始されたわけです。民間伝承のなかには、明らかに書物に取材したものも含まれており、そこでは、書承から口承へというベクトルが普通に機能しています(ぼくらだって、本で読んだことを普通に人に話したりしていますよね)。文字使用が一般化したからといって口承がなくなるわけではない、むしろ人間がオーラルなコミュニケーションを基本にする生きものであるならば、書承の世界は常に口承によって支えられているのだといえるでしょう。