『古語拾遺』のなかでは、文字の発達によって「智賢の豊かな古老」が嘲笑されるようになったとありますが、それがシャーマンや古老のような場合でも嘲笑されてしまったのでしょうか。

古語拾遺』が問題にしているのは、まさにそこです。この書は、同じ神祀りを行う一族でありながら、藤原鎌足を輩出したことで王権側から優遇されるに至った中臣氏を、批判するために書かれたものでもあります。『日本書紀』に掲載される神話のヴァリアントを精査してみますと、同じ内容の話でありながら、中臣氏の始祖の功績を強調する内容になっているものも見受けられます。私見ですが、中臣氏の「中」は後漢の字書『説文解字』が「史」を説明する「中正」の「中」を採ったもので、すなわち中臣氏は、王権によって中国的史官(神話の管理・記録を担い、卜占・祭祷も行う)として編成された擬制的氏族であるとみられます。一方の忌部氏は、祭祀に用いる祭具・祭料を調達する擬制的氏族ですが、それを構成している地方忌部のなかには、在地の古くからの祭祀法を継承しているものもある。口承に重きを置く古型の祭祀氏族である忌部が、中国的祭祀氏族である中臣の文字使用に対して加えた批判、そのありようがもたらす古型の解体の実態が、古老の伝承=長老・シャーマンのあり方への嘲笑として語られているのでしょう。