殷代の卜占について、以前本で、結果は予め望んだものが得られるよう調整されていたと読んだのですが、本当でしょうか。

講義で紹介した落合淳思氏などは、その代表的な論者ですね。しかし個人的には、すべての甲骨卜辞の事例をそう解釈できるか、それはあまりにも近代的な解釈に過ぎないのではないかと考えます。卜占が神霊との交渉を必要とすることは、文化人類学的な調査・研究からも分かっていますが、落合説は、それを近代的合理性で軽視しすぎています。また、すべてが望どおりの結末を招くなら、占辞と験辞が齟齬を来すなどということもありえないはずです。古代的固有性をどう理解できるかが、このあたりの研究を行ううえでの重要なポイントになってきます。