自分でモノを作らない商業は、どこにおいても卑しいものとみなされたのでしょうか。

中国においては、商業の「商」が殷を指すように、このなりわいは、聖代の周王朝にあって滅ぼされ流民となった殷の人々がなすもの、との差別的な認識もありました。しかしそうした言説は、王権が人民を生産に専念させ、流通を管理して利益を独占するための情報操作だったともいえます。「何も生み出さない」のが悪く、「何か生み出す」のが良いのは、いかなる価値観によるのかを、しっかり考える必要があります。