モンゴルの樺太遠征において、彼らは骨嵬を九州で抵抗していた幕府軍と同じ「軍」とみなしていたのでしょうか。 / モンゴルの樺太遠征において、骨嵬は吉烈迷を圧迫し、元朝に救援要請をしたというのは、攻め込まれた吉烈迷がしたのでしょうか。元朝は、吉烈迷も制圧したのですか。

蝦夷地に暮らすアイヌを、13〜14世紀の段階で本州以南の「日本」と同一視する発想は、周辺の諸国においてはなかったと思います。やはり同時期に書かれた日本地図「行基図」にも、樺太はもちろん北海道すら描かれていません。中央政府すら、19世紀前後までは、北海道を日本の領土と認識していなかったことは、授業でもお話ししたとおりです。モンゴルとしては、あくまで辺境の少数民族の紛争に介入し、毛皮貢納を安定化させるために征討を行ったに過ぎなかったと思います。なお、当時ギリヤークはすでに元朝に帰服し、毛皮貢納を行っており、それを勢力を伸張してきた樺太アイヌが妨害したために、ギリヤークの要請を受けて元軍が動いたもの、と解してよいでしょう。