何度も反乱を起こした樺太アイヌに対して、モンゴルの支配が寛容だったのはなぜでしょうか。

中華王朝にとって夷狄とは、その未開性・野蛮性を強調することで自らの正当性を喧伝する材料ですが、同時に皇帝の徳を行き渡らせ文化化してゆかねばならぬ対象でもあるわけです。また、中国のような広大な領土を持つ国においては、辺境に中央地域と同じような機関・制度を整備し、領域内と同様に一律に支配してゆくことは困難である。そこで、戸籍を造って課税するような個別人身支配の形式はとらず、特産物の朝貢という義務を果たすことでよしとしてきたのです。樺太アイヌに関しても、同様に対処されたものと考えられます。