アイヌの人々は満州語が読めたのでしょうか。

清朝の役人と密接に交渉するような経験を持っていた者、そうした立場にあった人間のなかには、満州語を介する人もいたでしょうが、やはり一般的ではなかったと思われます。ましてや文字については、アイヌ自身が文字を使用しない人々ですので、読み書きできなかったと考えるのがふつうでしょう。すなわち、カラフトナヨロ文書の乾隆帝勅旨は、それを代々所持していた家の者も、内容を明確には理解していなかったとみられます。ただし、以前ぼくの扱った西南の少数民族ヤオ族は、その山中における自由な移動や焼畑の遂行を歴代王朝が許可したという、「評皇券牒」なる文書を持ち歩いていました。それは読みにくいながらも漢字で書かれていますが、アイヌと同じく独自の文字を持たないヤオ族が、交易などを通じ漢語を読み書きできる人材を輩出していた可能性を示唆します。樺太アイヌのなかにも、そうした人々が存在した可能性はあります。