なぜヨーロッパの人々は、大航海時代を通じて得た中国史の知識を、論理的に否定することができなかったのでしょうか?

もちろん、科学革命と大航海時代のなかで、聖書に書かれていない、中世的神学では想像だにしなかったような現実が出来し、聖書のみを盲信する姿勢に種々の疑惑が生じていたことが大前提です。まずそのために、「聖書は神の歴史であり、誤りなどはない」といった言下の否定が、まず難しかった。そのうえで、中国の正史のような人間の行為の積み重ね、すなわち異なる神の計画が著されたものではなく、大部分が形而下の出来事の積み重ねとして描かれた歴史書について、「虚偽である」「すべて作り話である」と批判する材料を持ちえなかったということでしょう。