中立の立場というものは、いつの時代にも何らかの制約を受けていたと思いますが、今もこのような事象は起こってしまうのでしょうか。

中立というのは、現実にはなかなかありえないでしょうね。例えば、AがBをいじめている、Cはそれを一歩下がって客観的にみている、このCの立場はAのあり方を強化し、Bの置かれている情況をさらに悪化させるだけです。表面的に中立にみえることが、何かに対し暴力的に作用することはありえます。かつては「客観性」を重んじ、民族社会の人々を一歩下がって観察していた文化人類学も、今や「踏み込む」ことをこそ重視しています。逆に、自分の政治的なありよう、恣意的なありようを鮮明にし、いかなるポジションから論じようとしているのかを明確にしたほうが、検証可能性を広げる点で有意義なように思います。マスコミや報道関係でも同じで、自らの見解を明確に伝える報道のほうが、「中立」を隠れ蓑に不透明な情報の取捨選択をなすニュースより、よほど信用が置けますね。