コンドルセ『人間精神進歩史』の進歩史観が、量的拡大を基準にしている点に限界があることは理解しました。しかしその「限界」とは、何に対しての限界なのでしょう。

重要な質問ですね。ここでいう「限界」は、現在の歴史学、あるいは思想を基準にしてその到達度を測ったものでしかありません。具体的にいえば、太古から現在に至る時間の流れを単純に進歩と捉えるのではなく、個々の時代の特徴・固有性を充分に認識し、展開方向の多様性を許容するような立場です。例えば、冷戦時代に行われた過激な兵器開発競争は、原発からロボットまで種々の副産物を生み出しましたが、そうした技術的発展を単純に進歩と捉えるのか、あるいは殺し合いのツールを開発するなかで生まれたものであるから、人間の精神的発展上明らかに退行と捉えるのか、何を基準にどういうものの見方をするかによって、過去は大きく様相を変えてしまう。そうした多様性を承認するようなポジションを理想に、限界や課題を設定しているわけです。