ルイ14世の親政の前後に流行したメモワールは、読者に読まれることでどのように自分のポジションが変わることを期待したのでしょうか?

例えば、フロンドまっただなかの1652年に枢機卿に就任した、ジャン=フランソワ=ポール・ド・ゴンディ(レ枢機卿)。彼のメモワールは名作として高く評価されていますが、他の史料では検証が難しい出来事、事実か虚構か判然としないこともさまざまに記されています。そのうち最も印象的なのが、やはり1652年に計画されたという、政敵コンデ親王によるレ枢機卿拉致計画。彼はそれを、ともにフロンドに敗れた亡命生活のなかで、コンデ自身から聞かされたというのです。しかしこの計画については、先に述べたとおり、他の史料でまったく裏付けがとれません。嶋中博章さんの研究によれば、レ枢機卿のメモワールを全編を通じて分析してみると、彼がフランスで英雄と謳われたコンデ親王を軍事的英雄を称える常套表現で神話化し、それと対等に渡り合える自分を叙述を通して創り上げていることが分かります。拉致計画が史実か否かは分かりませんが、その記述は、「コンデさえもが拉致せんとの計画を練るほど侮れないと考えた人物」として、読者の印象を操作する力を持っているわけです。レ枢機卿は、このような印象操作を通じ、フランス貴族社会における自らの政治的地位の上昇を図っていたと考えられるのです。