松前藩の行動は目に余るものがありますが、幕府はなぜすみやかに直轄地化しなかったのでしょう。もっと早くすべきだったのではありませんか。 / 松前藩の横暴は、藩の性質として何か特別なものがあったのでしょうか。

やはり、前回の質問に対しても述べましたが、幕府では田沼意次頃に至るまで、蝦夷地を日本領とは一切考えていなかったということが重要です。それはある意味で松前藩も同様であり、いわゆる領域支配は行っていなかった。田沼の行った勘定奉行普請役、最上徳内らによる蝦夷地踏査を契機として、ロシア脅威論も踏まえ、次第に領域支配に至る情報が蓄積され、その可能性が吟味されてゆくということです。なお、松前藩の「横暴」についてはぼくも定見を持っていませんが、やはり異民族に常に相対しているという特殊情況の藩政が、通常の農本主義諸藩とは大きく異なっていたのだろうと思います。その緊張状態は戦国的意識を長く持続し、それが幕府に対する(半ば独立不羈な)両舌的対応や、アイヌへの暴力的措置に表れているのではないでしょうか。