アイヌは抑圧されてきた人々だと認知してしまっていたが、少なくともクナシリ・メナシ以前は、そうではなかったといえるのだろうか。 / クナシリ・メナシの戦いは、シャクシャインの戦いに比べて規模が限定されていたと思うが、これは蝦夷地の植民地化が進んだためだろうか。

アイヌの交易は、樺太アイヌや千島アイヌと連携しつつアムール側流域の山丹交易とも結びついていましたので、松前藩としては彼らを必要以上に抑圧するのは、手の届かない樺太や千島との関係悪化も招き、得策ではなかったと思われます。最上徳内らが調査したところによると、松前の交易強制によってアイヌアムール川流域の民族との間に負債を背負い、自身の子供などを彼らに売り飛ばさねばならない情況も生じていたようです。これは明らかに無理があり、事実、シャクシャインやクナシリ・メナシの戦いが起きているわけで、松前藩も積極的に事態を悪化させたわけではなかったでしょう。やはり契機は東北諸藩の不作にあり、その構造的影響が交換条件の不均衡へ結びついていったのでしょう。