ランケの国家史の重視というのは、それも同じ神のもとにそれぞれの国家が歴史を作ってきたと考えられているのでしょうか。それとも、それぞれの国にそれぞれの神がいるのを認めているのでしょうか?

あくまで、ランケ自身の「客観性の基準」なのだとみるべきでしょう。史実をみてゆくための価値判断の根拠、すなわち客観性を、神の秩序に求めてゆくのは、やはりそれを科学的に表現する最適な字句が、未だ充分に発達していなかったということなのではないでしょうか。各地域の展開にみられる人知を超えた客観的連関、それはヨーロッパで成長したランケの目には「神」として表現できるけれども、他の地域においてはまた別の呼び方がありうるということだと思います。