ランケがヨーロッパにおいて実証主義歴史学を提唱した際、近代日本におけるような軋轢は経験しなかったのでしょうか?

科学革命、啓蒙主義を経た帰結として導き出されていますので、概ね評価されたはずです。近代日本の場合、実証主義の史料第一主義に呼応する考証学は存在したものの、その解釈学的部分においては、まだまだプラクティカル・パストが一般的でした。そこへ、他の思想的文脈で醸成され、鍛錬された方法がいきなり入って来たわけですから、軋轢と混乱が生じるのは当然です。一見、近代国家の主唱する文明開化の流れのなかで、混乱は速やかに沈静化してゆくかにみえましたが、繰り返される筆禍事件(過激な実証主義的筆致自体よりも、それを列島社会がどのように受けとめたかという問題)、神道祭神論争、廃仏毀釈などの思想的紛争は、すべてその点に淵源があるともいえそうです。