ルードヴィヒ・リースは、神を持ち出して説明することはなかったのでしょうか?

リースは恐らく、ランケのなかにあった「神」を周到に排除して、日本の歴史学として定着させてゆこうとしました。しかし、図らずもそこに空いてしまった「価値の源泉の空白」へ、意識的か無意識的か、天皇制が入り込んでゆくことになる。そうして形成されていったのが、皇国史観なのだと思われます。その意味で皇国史観は、ランケ実証主義だからこそ発現した歴史観なのだといえるかもしれません。