実証主義のもとで否定された『平家物語』や『太平記』は、まったく価値のないものとされてしまったのでしょうか?

あくまで、「史料」の範疇からは除外された、ということです。江戸時代までの歴史認識においては、『平家物語』や『太平記』が、一般の人々に最も読まれ(みられ/聞かれ)た歴史書であり、人々の日本史像の核を形成していたわけです。実証主義歴史学は、これを否定し、分離しました。しかしいわゆる非アカデミズムの世界では、江戸時代的な歴史認識が継続していましたし、一般の人々もそれらをまったく放棄してしまってはいませんでした。プラクティカル・パストの重要な機能のひとつは、その物語りとしての形式が各地に普及し、地域の歴史を語る枠組みを提供している点です。すなわち列島各地に、『平家物語』や『太平記』に繋がるエピソードが生まれ、またその形式に則った民間伝承が語られて、史実だと信じられていました。アカデミズムの世界で生じた〈実証主義革命〉は、当然ながら、一般の歴史認識を根本的に変えてしまうには至らなかったのです。それは、現在に至るまで、歴史を扱ったテレビ番組や雑誌が必ずしも実証主義重視で作成されておらず、『戦国無双』『戦国BASARA』『刀剣乱舞』のような偽史モノが流行している点からも明らかでしょう。