マルクスは経済構造を地域や制度ごとに区別しているが、これは区分に「押し込められる」歴史を多く生み出し、授業の最初のほうで扱われた「語られることのない歴史」などが蔑ろにされ、歴史の多様性を奪って画一化してしまう原因になるのではないだろうか。

そのとおりですね。マルクスは厖大なデータのなかから唯物史観の枠組みを創り上げてゆきますが、しかしその法則性についてはそれほど教条的ではなかったと思います。しかしエンゲルスが世界史の発展原則として整理し、レーニンがより政治的実践的なニュアンスを付け加えると、唯物史観はその法則的な権威を強めてゆきます。戦後歴史学を席巻した時代区分論争などは、まさに過去の具体性を理論的枠組みにいかに適合させるかという議論になっており、演繹にしても極めて無理のある状態に立ち至ってしまった。その過程で、枠組みに合致しないために例外として切り捨てられる、あるいは誤りとみなされるような過去の具体相も、多々あったのではないかと考えられます。しかし、グランド・セオリーの終焉は、主にマルクス主義を指していわれることもありますが、演繹/帰納を柔軟に更新しつつ構築が図られるならば、大きな物語の価値は未だに絶えていない。資本主義の限界は目にみえているのに未だにそのオルタナティヴが考案されていない、という意味でも、マルクス思想を再検証する意味は充分にあると思われます。

1497835595*[超域史・隣接学概説III(17春)]マルクス主義における革命は、リストの質的進歩における次代への転換においても、力になっているものなのでしょうか。

マルクスの考え方と、リストの考えた方とは異なります。リストの段階で不充分であった質的転換のあり方を、社会構成体の概念を通じて明示したのがマルクス、と位置づけられるでしょう。