吉原は水にまつわる場所であるが、同じ京都や金沢の花街も河川の側にあったと思う。この配置には、何か意味があるのだろうか。

どうなのでしょうね。あまり軽々なことはいえないのですが、ひとつには花街が置かれるような場所は、まず交通の要衝であったということでしょう。いわゆる非公認花街の岡場所も、当然のことながら、人が往来し宿泊する宿場や街道沿いに出現します。新吉原も低湿地の中央部ではありますが、古くからの交通の要衝であった浅草に近い場所へ設定されています。それから、郭内では大量の水を使用することも、関係があるのかも分かりません。「水の女」のイメージは、古代のシャーマンから始まって、月経を介した月と女性の関わり(月は潮流と関係があり、また夜露のもたらし手ともされ、水と関わりが深い)、仏教による蛇と女性との連結など、さまざまな要素が絡まり合って形成されています。花街の設置にそうした印象が何らかの左様を及ぼしたかどうかは分かりませんが、逆に「水の女」のイメージをさらに強固にしたことは確かでしょう。河辺に立つ柳のような幽霊、やはり水辺に立ち下半身を血に染めたウブメなど、「水の女」は多様に再生産を遂げてゆくのです。