モースの贈与論は、市場経済以外では成り立たないのではないか。例えば家庭において、赤ん坊に「あなたを育てて上げるから返礼せよ」とは、誰も言わないだろう。とくに母親なんて、与えることばかりしているような気がする。

講義でも触れましたが、そもそも贈与は市場経済で機能していた風習ではなく、市場経済が贈与から展開した亜流です。質問に例示されている子供の養育も、現在、社会・文化に組み込まれた行為になっている以上、贈与交換で説明することができます。すなわち、親が子供を教育するうえにおいては、人的・経済的・文化的な投資がさまざまになされ、子供が社会化されてゆくこととの相関関係のなかで、その幅は大きく拡大してゆきます。親の行為を通じて、社会が子供を養育している情況といえます。そのように教育された子供には、成長するなかで、その投資に答える義務が生じてきます。親の教育、学校の教育に従って期待される成果を残し、成人してからは親の面倒をみつつ、労働・税金・年金などの形で社会全体に貢献することが求められます。これは贈与に対する返済以外の何ものでもありません。その義務を果たさなければ、その社会のなかで、彼/彼女はマイナス評価しか受けられないことになるでしょう。