サルは左手を中心に木登りをして、右手で道具を用いるようになった。右手は道具を用いるように発達し、木登りをしなくなった人間は右手を利き手として用いるようになったと聞いたことがあります。エルツは考えすぎではないでしょうか。

エルツが問題としたのは、まさにこの質問にあるような生得的要因と社会的・文化的要因の問題で、ふつう生得的と考えられるような事象には実は社会的、文化的要因が隠れているのではないか、ということです。すなわち、このようなサル学的、あるいは唯脳論的な説明方式であれば、人間の身体機能は基本的にサルと同じでよい。しかし実際には違ってきているわけで、そこには社会的・文化的要因が想定される。アフリカ大地溝帯の山林部から気候変動によりサバンナに追いやられた類人猿が、樹上生活から草原生活へ転換してゆく過程で、長距離移動を可能にする強靱な足と、二足歩行に有利な直立姿勢を手に入れてゆく。大脳新皮質の拡大はヒトに抽象的思考を可能にし、宗教や芸術に関わる視座が開ける。これをもって、ヒトの生活スタイルは類人猿とは一線を画したものとなり、手による作業はより複雑化を極めてゆくのに、なぜ利き手を右手とすることが変化しないのか。例えば、近年活発化している進化心理学などでは、長く続いた狩猟採集生活の影響で、狩猟に特化した集団の後継者と考えられる現生人類のうち、狩猟を担った男性には、獲物を変化する風景のなかで適確に同定し追跡してゆく能力が求められ、高められていると想定される。実際、ひとつの物体をあらゆる角度から想定できるか否かを試す心的回転課題を試みると、女性よりも男性のほうが圧倒的に成績がよい。また一方で、採集労働を担った女性については、一定の場所において季節によりどこで何が採取できるかを記憶しておく能力が求められたと想定される。事実、神経衰弱などのゲームをさせると、男性よりも女性のほうが成績がよいという。これらのことは、歴史が自然淘汰を通じて身体機能を変容させることを示している。エルツの考え方には問題点もあるものの、文化の積み重ねを通じて人間の身体が変質してゆくさまを正当に捉えているのです。