徳川将軍の神格化について、金地院崇伝や天海などの僧侶が、幕府に協力していたことも思い出しました。当時は神仏習合状態だったので、とくに違和感もなく死後の神格化を受け入れられたのでしょうか?

そのあたりは、まったく問題ないはずです。むしろ家康の神格化は、神道と一体となった仏教により進められました。家康を死後神格化することは、すでに豊臣秀吉が豊国神社に祀られた先例があるように、既定事項だったようです。事実、家康の葬儀を統括したのは、そのブレーンであった以心崇伝と、豊国神社の神宮寺別当でもあった吉田神道の総帥梵舜でした。しかし、その既定路線は天海の介入によって変更され、国家鎮護の性格が強かった天台宗神道山王一実神道による神格化が図られることになりました。いまや家康の代名詞ともなった「権現」は、本来は仏が衆生救済のため仮の姿で現れることで、主に天台宗によって使用されてきた言葉です。家康も同じように権現とされ、天台宗的に祭祀されてゆくことになるのです。