フェーヴルが、全体史を志向しながら個人の伝記に注目していったことに関心を持ちました。心性史を究明することで、個人の思想からその時代固有の考え方を探るということですよね。 / 個人を醸成する社会を理解するのには、何をすればよいのでしょうか?フィールドワーク、現地の人々へのヒアリングくらいしか思いつきません。

それまでの伝統的な歴史学が、praxisをなすものとしての個人に注目してきたのに対し、フェーヴルは、社会が個人を生み出す集合性の部分に着目をしたわけです。そうした観点から、伝記研究の刷新を図ろうとしたということです。これは、授業でお話をしたとおりデュルケーム以来の社会科学的傾向でしたが、当時はそのために、人間の持つ個性を低く見積もりすぎた嫌いもあります(もちろん、それは当時の研究動向において必要なことだったわけですが)。よって現在は、社会/個人の相関関係、マクロ/ミクロの往還を重視して、歴史をバランスよく捉えてゆくことが重視されています。なお、社会の集合性を復原してゆく方法としては、やはり多様な史料の博捜と読解が不可欠です。社会・文化の表面のみを記録した政治史、事件史の要素だけではなく、社会・経済に関わるさまざまな記録、人口の変動から経済の推移に関する「枝葉末節」の古文書をいかに満遍なく収集し、統計処理してゆくか。そのあたりは、社会学や経済学と共通の手法が採られます。近年では、社会学でもライフ・ヒストリーなどの質的研究が盛んですが、歴史学も本来は後者が中核。量的な研究と質的な研究をどう結合させてゆくかが、最も肝要なところでしょう。