日本において、西洋からやって来た歴史の見方が、学問まで発展せずに流行にとどまり、さらには消えてしまうことが多い原因は何ですか? / 流行と放棄に曝された社会史は、その後、顧みられることはなかったのですか?

例えばフランスにおいては、あらゆる学問の基盤に哲学があり、研究者はみなその素養を持って、それぞれの分野の展開に邁進しています。しかし日本の大学制度にはそうした部分が欠如しており、簡単な一般教養のみで専門研究に入って行ってしまう。そのため、海外で注目された方法を充分検証することなしに採り入れては、その流行が終わると拘りなく放棄してしまう。そうした浅薄さがあるように思います。なお社会史については、00年代初めにはずいぶんと厳しい批判もありましたが、いまは歴史学の一分野として定着した感があります。しかし一時のような勢いはなく、また方法論的進展も大きくはみられない状態です。