ハーメルンの関連において。江戸時代、日本でも間引きが行われていましたが、そうした後ろめたさから生まれた伝承などあったのでしょうか?

間引きに関する伝承の類は、たくさん残っています。ちょっといま記憶が定かではないのですが、幼い頃に母親に読み聞かせてもらった松谷みよ子『日本の伝説』の、次のような話を印象深く覚えています。「ある家の老母が、60歳になり、村の掟に従って姥捨て山に捨てられることになった。息子夫婦も母親自身も、「村の口減らしのためだ」と覚悟し、息子は泣く泣く母を背負って山へ向かったが、姥捨て場に着いたときには、もう辺りは暗くなりかけていた。息子は「明るくなるまで側にいる」といったが、母は「辛くなるばかりだから」と帰らせ、もうすっかり死ぬつもりで、座って念仏を称えだした。数日が過ぎ、息子が置いて行ってくれた僅かな水と干飯もとうになくなって、いつ死ぬか、いつ死ぬかと思ったが、なかなか死ねない。そうこうしているうちにどういうわけか覚悟が揺らぎ、痛切に「生きたい」と考えるようになった。そこである夜、空腹に耐えかねて山中を歩き始めると、まだ幾ばくも歩いていない辺りで足を滑らせ、大きなくぼみのなかに転がり落ちてしまった。気がついてみると、辺りは真っ暗で何もみえない。仕方がないので、斜面に手を着いて登ってみるが、なかなか這い上がれない。登っては落ち、登っては落ちを繰り返しているうちに、何か軟らかいものに手が触れた。「ひ!」と手を引っ込め、しかしもう一度、おそるおそる手を伸ばして触ってみると、やはり何か軟らかい…これは、生きものの死骸のようだ。数日飲まず食わずだった老母は、無我夢中でそれにむしゃぶりついた。うまい。やまり何か、動物の肉のようだった。一心不乱に食べ続ける老母の姿を、雲間から覗いた月が照らした。ふと顔を上げると、朧ろな光のなかに、くぼみの全体にわたって、何か白いものが、点々とうずくまっている。なかには何か、弱々しく動いているものもあるようだ。「何じゃ?」と老母が目を凝らしたときにみえてきたのは、……なんと人間の赤ん坊だった。このくぼみのなかは、子捨て場、間引き場だったのだ。そして、老婆の手に握られた肉片は……赤ん坊の脚だった。」