ソシュールの構造主義言語学の話を聞いていて考えたのですが、他の授業で人類は言語能力を身に付けたことにより虚構を生み出し、多数の人数でまとまれるようになったという話がありました。この考え方は、構造主義の意味合いを含むものなのでしょうか?

単に現象だけで、構造主義的には深められていないだろうと思います。ただし、その「虚構」が言語によって構築されたこの社会自体を意味するなら、それは多分に構造主義的な言い回しです。これから授業でお話ししてゆきますが、ソシュールによって始まった構造主義では、われわれ人間は身体と言葉によって作られた世界で生きており、それ以前の「世界そのもの」には直接アクセスできないと考えます。その意味での個の環世界=個的な構造は、全体の集合的構造との相関関係によって成り立ち、ラング/パロールのように常に変化して/変化させている。それらが人間の生きることを可能にしているという点では、多数の人々のまとまりを維持しているわけで、構造主義的といえるかもしれません。