ハンセン病者への差別は、中世〜近世くらいまでは「仏罰」であるからというイメージがあったのですが、明治以降〜戦前にかけてもそのような理由で差別されていたのでしょうか? / 『娘巡礼記』で「業病」と書かれているのがハンセン病を指すものですか? 当時の人々は、何かしらの業が原因となって病が起きると考えていたのですか?

業病という言葉は、前世の悪業によって、因果応報として被った病、それゆえに通常の医療では治癒不可能なもの、という含意があります。これは、中国の南北朝から隋唐の時代にかけて、仏教が権力からの廃仏に抵抗して作り上げた言説で、当時の仏教を擁護する書物のなかには、廃仏を断行した北周武帝北魏の太武帝などが、ハンセン病を意味する「瘡病」にかかったとの記事が出て来ます。「仏罰である」というのは、因果応報の言い換えですね。しかし、これが一般の人々へも向けられると、抵抗の言説は差別の言説へと変容してしまいます。列島でも古代や中世には、ハンセン病をこのような論理で理解し、悪業を犯した者との視線で差別することが行われました。近世なると、家制度が確立してゆくなかで、本来は個人の行いが個人に返ってくるという因果応報が家的に拡大し、「親の因果が子に報い…」との理解が次第に広まって、ハンセン病は親から子へ受け継がれる遺伝病と考えられるようになってゆきます。場合によっては精神病、神経症の一種ともみなされる憑き物筋なども、やはり家系に依拠するものと認識されています。近代に至るまで、一般にはそのような理解が根強く存在したようです。